語りかぐら 「なむぢ」

 

日本各地の神話を「語り」と「音楽」で伝え、日本人としての素晴らしさを再確認するコンサート。

 

「なむぢ」とは

「なむぢ」は、国造りの神であるオオクニヌシノミコト(大国主命)のことですが、『古事記』によると他にオオナムヂ(大穴牟遅)、アシハラシコオ(葦原色許男)、ヤチホコ(八千矛)、ウツシクニタマ(宇都志国玉)とたくさんの名を持ちます。

 

『日本書紀』ではさらに大国玉、大物主の二つが加わり、合計七つの名を持つことになります。

 

ある研究者によると、七つの名について「土着の匂(にお)いがするのはオオナムヂであり、土地を持てるものの意である。これに比し大国主という名には政治的な臭味がかなりはっきりと感じられる」と指摘しています。

 

「なむぢ」「ナムヂ」という言葉の響きには、大地から湧き上がる土着の力(パワー)、ゲニウス・ロキ(genius loci)としての土地の精霊を感じさせる言霊だと思います。

 

また私たちの「なむぢ」のコンサートが、土地土地に本来あったプリミティブ(始原・原初)な力を呼び覚ます語り&音楽のコンサートになればと思っています。

 

 

古語辞典によると「なむぢ」は、漢字表記では 【汝】、意味は代名詞で「おまえ、そなた、あなた」となり、多く男性が同等または目下の者に対して用いる言葉とされています。

 

例えば、「竹取物語」の「御門の求婚」のくだりでは「なむぢが持ちて侍(はべ)るかぐや姫奉れ」([訳] おまえが持っておるかぐや姫を献上せよ。)と出てきます。

 

古くは「なむち」で、「な」は代名詞、「むち」は尊い者の意を表す語。「なんぢ」と表記されることが多ったようです。本来は語の構成が示すように、相手を尊敬の意を含む代名詞であったようです。

 

ただ、私たちのユニット名「なむぢ」は、大国主神の(おおくにぬしのかみ・大国を治める帝王の意)の別名である大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち) ・大汝命(おほなむち)・大名持神(おおなもち)から命名しています。

 

この言葉「なむぢ」の「ヂ」「チ」は自然神的霊威にあてられる音で「地」であり、大地から湧き上がる力で(パワー)あり、ゲニウス・ロキ(genius loci)的には「大地の王」「大地の精霊王」としての土地の精霊を感じさせる言霊だと思います。

 

私たちの「なむぢ」のコンサートが、土地土地に本来あったプリミティブ(始原・原初・根源)な力を呼び覚ます語り&音楽のコンサートになればと思っています。

 

日本神話の魅力とは

「パワースポット」や「縁結び」といったキーワードで、近年、神話ゆかりの地や神社が、さまざまなメディアを通して取り上げられるようになりました。「無縁社会」と言われる現代において、人と人との絆や精神的な安らぎが求められているからでしょう。

 

特に、神在月(かみありづき)に八百万(やおよろず)の神々が全国から集まるとされる「出雲大社」などは、全国から多くの参拝客・観光客が訪れていいます。

 

神話とは、世界の起源などを記した固有の民族の古(いにしえ)の物語です。世界の各地域で、どの民族にとっても大切に語り継がれてきたものです。 また、それぞれの民族・地域ごとに豊かな内容をもっており、民族の多様性や人類の共通性などを知ることができる貴重な伝承といえます。

 

一方、私たちの日本では、戦前教育における歴史的経緯もあって、公的な教育機関では教えられず、日本の神話を知らない人々が多数を占めるようになっています。

 

そうしたことがありましたが、近年日本神話の見直しがあり、小学校の教科書に「因幡の素兎」など神話が掲載されることになりました。子どもの頃から日本の神話に親しむことは、私たちの祖先が持っていた生命観や世界観などの日本文化の源流に触れる経験になり、豊かな心を育てることにつながると思います。

 

ここ数年の社会の変化や私たちの価値観の変化が、ようやく日本の神話の魅力に気づかせることになってきたのだと思います。

 

2012年は、古事記が編纂されて1300年の記念の年でした。2013年は、出雲大社と伊勢神宮の同時遷宮の年でした。今、私たちは、もう一度、日本人の精神的源流である日本の神話を知ることは大切なのではないでしょうか。

 

日本神話は何も難しいものではなく、それは、壮大なスケールと躍動するダイナミズムにあふれ、物語として力強い魅力に満ちたものです。

 

また、登場する神々も、とても大らかで喜怒哀楽に富んでおり、現代社会に生きる私たちを惹きつけてやみません。あなたも神話の魅力にふれてみませんか。

 

『古事記(こじき・ふることふみ)』の中の神話を愉しむ

 

目次

■2012年は「古事記」が完成して1300年の記念の年

■「古事記」とは

■編纂の目的

■「古事記」は面白い!

■「古事記」の神話内容

■なぜ今神話なのか

■「古事記」の神話内容

■神話の面白さ

■「古事記」は、壮大な歴史ファンタジー

■では、なぜ今「古事記」なのか

■日本人の魂の源流に出会う

■自国の神話を知ることは、自信と誇りを持った生き方につながる

■現代でも生き続ける神を敬う人間の素朴な気持ち

 

 

■2012年は「古事記」が完成して1300年の記念の年

平成24年(2012)は、日本最古の歴史書『古事記』(和銅5年・712)が編纂されてからちょうど1300年を迎える記念すべき年です。神話ゆかりの地、出雲(島根)、大和(奈良)、日向(宮崎)、オノコロ島(兵庫)では、さまざまな記念行事やイベントが行われています。

「古事記」に記された神話は、神と国と人の起源、生と死、親と子、男と女、人間にとっての根源的な問題を情緒豊かに語ってくれます。千有余年にわたり祖先が語り継いできた日本人の魂、日本の文化の源泉に、今、あらためて触れることができます。

「古事記」の中の一つの言葉、一つの文章に、時代を超えた普遍的なものを見ることが出来るからです。「古事記」が伝える神代の物語は、この日本列島で繰り広げられた人々の営み(歴史)や思い(想念)に基づく壮大な歌物語なのです。

 

■「古事記」とは

「古事記」は上・中・下巻の三巻からなり、世界の成り立ちから、第三十三代・推古天皇(すいこてんのう)まで出来事が記されています。この史書の作成は、天武天皇(てんむてんのう)の勅命により稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦したものを太安万侶(おおのやすまろ)が編纂されたものです。

 

■編纂の目的

当時、天皇を中心にした国家体制を早急に作る目的があり(古代律令国家)、天皇を頂点とする支配体制のため歴史書が必要だったのです。

ただ「古事記」の上巻に記された神代の天地開闢や天孫降臨などは、歴史研究者の間では史実として見る人は少なく、悠久の昔の物語である神話として捉え、私たちの祖先が思い描いていた世界観・価値観に触れるものとして捉える人が多いようです。

 

■「古事記」は面白い!

「古事記」は読んでみると実に面白い書物です。

私たち日本人にとってかけがえのない精神文化の書でもあります。西欧の人達がギリシャ神話を熟知しているように私たちも日本の神話を知り楽しむ社会にしていくことが大切ではないでしょうか。

「古事記」は時代の中で、大きく評価を変えてきた古典です。戦前は国家体制に組み込まれ天皇を中心にした体制の正当性に使われ皇国思想の聖典として使われた経緯があります。、戦後は一変、誤った道へ導いた反動の書として危険視され、教育の現場からも無視されてきました。

しかし、戦後60年以上経った現在、「古事記」の研究も進み、歴史の研究も進み、イデオロギーとして利用される危険性が低くなってきたのが現状です。

そろそろ、本来この書「古事記」が持っている豊かなストーリー性や世界観、大自然へのイマジネーション力、人間心理の深遠さなどエンターテイメントとして味わい楽しむことが出来る時代になってきたと思います。

「古事記」は、古代の「日本人」が「日本」を語った本です。古代の人々がこの世界を、人間の生死を、自然を、どのように感じ考えていたのか知る貴重な資料です。

 

■なぜ今神話なのか

 

今「古事記」などの神話に関心がもたれている背景には、どこかで自分たちの精神の源(みなもと)に触れたいという気持ちと結び付いているのだと思います。

それは、「日本人とはなにか」という問いを考える上で日本神話が一つの拠り所となっているということです。

神話を上手に活用することで、現在を強く豊かに生きているための力にすることが出来るのではないでしょうか。

 

■神話の面白さ

『古事記』は上巻には、神の物語が記されています。

天地が分かれるところから始まり多くの神々が登場します。イザナキ、イザナミの「国造り」に始まる神々の物語には、強烈な人間臭さが漂っているからです。例えば黄泉国(ヨモツクニ)で醜い姿を見られたイザナミはとてつもない執念で逃げるイザナキを追いかけます。

また、大国主とスセリビメの恋の物語では女性の嫉妬する激しい感情が表れ、トヨタマビメとホオリ(山幸彦)を恋慕う気持ちには確かな愛を感じさせます。

『古事記』は日本という国のルーツを記した歴史書ではありながら、エンターテイメント性に富んだ楽しい「読み物」でもあります。

 

■「古事記」の神話内容

「古事記」は三巻からなり、上つ巻は序文と天地開闢から神武天皇の誕生まで、中つ巻は神武天皇から応神天皇まで、下つ巻は仁徳天皇から推古天皇までの内容がまとめられてます。

上つ巻には、以下の ような神話が記されています。

天地の始まり

イザナギとイザナミの国生み・神生み

イザナミの黄泉国下り

三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ)

天岩戸隠れと開き

スサノヲのヤマタノオロチ退治

オオクニヌシの国造りと国譲り

天孫降臨(天下るニニギ)

コノハナサクヤヒメ

海幸彦と山幸彦

神武天皇の誕生まで

 

■神話の中の女性像

『古事記』の上つ巻(かみつまき)には、さまざまな女の神さまが登場します。その女の神さまに共通する要素は「強さ」です。この「強さ」が神話の世界を大変面白くしてくれているのです。

「強さ」の一つとして「気の強さ」があります。恥をかかされたと夫であるイザナキを執念深く追いかける女神・イザナキ、高天原に上ってきたスサノヲに対して武装して待ち構える女神・アマテラス、嫉妬深きオオクニヌシの妻神・スセリビメなど。

別の強さとして「運の強さ」を備えているのがヤマタノオロチからスサノヲに助けられたクシナダヒメ、「意志の強さ」では天孫ニニギに自分の子であるかと疑われ、火の中で神の子であることを証明して見せたコノハナサクヤヒメ、「想いの強さ」ではホオリ(山幸彦)を海神の宮から追いかけてきたタマヨリビメなど。

こうした女の神さまの強さに比べ、なぜか男の神さまには「弱さ」を感じてしまいます。特に「意志の弱さ」です。覗くなと言われて覗いてしまったイザナギやホオリ(山幸彦)、妻がありながら浮気心を抑えることが出来ないオオクニヌシなど。現在だけでなく神話の中でも「女は強い」んですね。

 

■「古事記」は、壮大な歴史ファンタジー

八世紀の初め、ようやく国家というカタチが整いはじめた古代日本。わが国最初の文学書にして歴史書として登場したのが「古事記」です。

この時代日本には、日本には独自な文字はありませんでした。したがって、公的な記録は、漢字・漢文で記されていました。

ただ、文字がなかった時代にも、各地ではきわめて豊かな物語が生まれ、人々の間に口伝えで広まっていました。そこには、この世界のはじまりの物語や、天皇家の故郷である高天原(たかまのはら)や天皇家の祖である多くの神々のたくさんのエピソードが含まれていました。

そうした神話伝承は、文字を知らない民衆によって謡い継がれ、あるいは昔話として語り継がれ、いずれの物語にも独特の節回しがあったとされています。

あるとき、こうした貴重な伝承を公的な文章に残そうという一大プロジェクトが企画されました。天武天皇の御世のことです。

そしてこのプロジェクトは、数十年の時をへて和銅五年(712)にようやく実を結び「古事記」として時の元明女帝に献上されました。

「古事記」は一見すると、世界各国の神話がそうであるように、荒唐無稽なファンタジーに見えます。特に「上つ巻」といわれる部分では天地創造あり、死者の国探訪あり、ヤマタノオロチ退治ありと、物語の面白さを純粋に楽しむことが出来ます。

ただ、こうした物語の裏には、往々にして政治的思惑も隠されています。また、秘儀的な側面からの解釈もあり、様々な人によって研究がなされています。そのような多方面からのアプローチが可能な点も、「古事記」の魅力の一つです。

 

■では、なぜ今「古事記」なのか

歴史学者・未来学者として有名はアーノルド・トインビーは、こんな言葉を残しているからです。「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

この言葉には、自らの民族の精神的な拠り所を亡くした民族は、自国人としての誇り)や結束力をなくし、歴史からも世界からも消えてしてしまうといっているのです。

神話は神々の世界の物語であり必ずしも史実とはいえないかもしれませんが、私たちの祖先がこの世界の成り立ちをどのように読み解き、自然の変化や災害に対してどのように接しながら生きてきたのか、人の生死についてどう考えていたのかを知ることが出来るからです。

こうした日本人が古来から持っていた感性や感受性・価値観こそ、本当に大切にして継承していかなければならないものだと思います。「古事記」は、特に日本神話は、現代人にこうした古来から日本人が持っていた感性や価値観に気付かさせてくれるからです。

 

■日本人の魂の源流に出会う

この「古事記」には天地の始まり、神々の誕生や、天孫降臨、さらには日本の歴史へと至る壮大な物語が綴られています。

物語に登場する神々は感情豊かな姿で描かれ、日本の古来の人々はこの神々の物語に共感し、こうした神々に敬愛の念を抱き、今なお各地の神社に祀られ篤く崇敬の念で持たれています。

古代から私たちの心の中に大切にしてきた神々の物語を知ることで、日本人の魂の原風景や魂の根っこに出会い触れることが出来るのです。

 

 

■自国の神話を知ることは、自信と誇りを持った生き方につながる

近年、学校教育の中で「古事記」の中の日本神話、例えば「稲葉の素兎(いなばのしろうさぎ)」「スサノヲのヤマタノオロチ退治」などの物語が採用されるようになってきました。

しかし今までは、戦前の全体主義的国家へのマイナスのイメージから日本神話を教育の現場で教えてきませんでした。戦後60年以上がたち、「古事記」や「日本書紀」の神話が戦前教育に利用されたというマイナスのイメージが薄れてきたとうこともあり、小学校の国語の教科書に日本神話が採用されるようになってきました。

では、いま「古事記」をはじめとする日本神話に何が求められているのでしょうか?

一つには、戦後日本が日本人が「経済的豊かさ」という唯一の価値観だけで教育・国づくりで突き進んできた弊害が顕著に現れてきたからです。教育の現場で「日本」「日本人」としての拠り所であったり、自らの存在(存在証明・アイデンティティ)に自信と誇りと確信を持たないまま子どもたちが成長してきているからです。

こうした問題意識から、「日本とは」「日本人とは」を考え、認識し、自覚する教材として、「古事記」や「日本書紀」の日本神話が国語の教科書の教材として取り上げられるようになりました。

ただ、日本神話は歴史的に国家の権力と関係して出来上がってきた経緯がありますので、ある特定のイデオロギーを植え付けさせないように注意を払い、他の昔話や民話などと一緒に私たち祖先が育んできた豊かな精神文化として教える必要があります。

私たちは今一度、この日本列島の自然と人々が育んだ豊かな精神文化としての日本神話を味わい、日本と日本人としての存在に誇りと自信を持ち、未来に向かって力強く心を豊かにして生きてゆく必要があるのではないでしょうか。

 

■現代でも生き続ける神を敬う人間の素朴な気持ち

最新の科学技術を用いた宇宙ロケットの開発を担当している鹿児島県種子島の宇宙センターで、昔ながらの神事が行われています。そこでは宇宙センターの行事やロケットの発射をするたびに、宝満(ほうまん)神社(佐賀県唐津市宇木)に安全祈願を依頼しているそうです。

また、世界の最先端の技術で自動車を製造するトヨタやその他の製造メーカでも自社の守りとする企業内神社をあります。

どんなに科学が発達しても、人間の神や大いなる存在を敬う気持ちは変わらず、これからも消えることはないように思います。

 

【ロータリークラブ・スピーチ『古事記(こじき・ふることふみ)』の中の神話を愉しむ】 2012/05/18

 

■Webサイト 日本神話に学ぶ「日本のこころ」

http://kokoro-nippon.jimdo.com/